ガトー・ショコラ・クラシック
「ガトー・ショコラ・クラシック」を生み出してから長い時間が立ち、多くの人に愛されるお菓子に成長しました。
私が考案に至った経緯を、今みなさんにお伝えしておきたいと思いました。
さて、ガトーショコラは1981年に京橋「ド・ロアンヌ」でデセールのガトーとして提供しました。
このガトーを語るうえで、「シェ・イノ」の井上旭さんとの関わりを持たなかったらならば存在しななかったでしょう。
僕の中では井上さんとの出会いがあり、シェフを志すこととなりここまで成長させて貰えた話だけで1冊の本が書けるぐらいの長い話なのです。
少しお付き合い下さい。
井上さんとは、20才の学生時代、フランス修行から戻り、井上さんがシェフとして働いた店で客として知り合いました。
大学を卒業するまでの3年間、毎週、自分なりのテーマもって井上さんの料理を食べ続けました。(実はこの事は父親から「俺は子供を育ち損ねた、一生の不覚だ!」と思ったと言われたことがあり、今となってはいい思い出です。)
食べ続けてるうちに、フランスへの憧れが強くなり、22歳3月にフランス、ヴィエンヌのミシュラン三ッ星レストラン「ラ・ピラミッド」に食べに行って,マダムポワンに会い、料理人になる事を決意。
渡仏後、早速井上さんに相談したところ、「大学出たやつでまともな料理人はいない!」と、反対されましたが、懇願して六本木レジャンスに入りました。
シェフ ベルナール・スタスケビッチのもとでクラッシックの基礎を、次にビストロ ロテュースのシェフ石鍋裕さんのもとで、ヌーヴェルキュージンヌを学びました。
そして嘉子さんと結婚。
半年後に、過労のため3か月の休養。
無職になり、生活も間もならないときに、井上さんが、昼間だけでもいいからデセール作りに来て、若い人にも教えてやってくれと声をかけてくれました。優しさに感謝です。
そのときに、井上さんが思い描く料理といかにシンクロさせるか、その一点だけが、頭の中にぐるぐると回っていました。
そのときに考えたのが「ガトー・ショコラ・クラシック」です。何度か試作をして今の形が出来上がりました。
私には井上さんの料理を3年間毎週食べてきた実績があったし、お客様もフランスやドイツの方が多かったので、食べたら自分の故郷を思い出すようなガトー。迷いなく「ショコラ」だ!と思いました。
私がパリやニューヨークなどで、おもてなしに緑茶と大福が出されて食べたときにほっと日本を思い浮かべるように。
私が不在の折でも、品質が変わらずスタッフたちが安心して、無糖のクレームシャンティを添えるだけで、お客様も満足してもらう、またテイクアウトやお土産に渡せることも重要でした。
井上さんに「どうですか」と聞くと「俺はお菓子とかデセール食べないんだよ。お前が良ければそれでいいんだよ!」なんか屈折した愛情表現ですが、それでずいぶん救われました。そのさりげない温かさに。
命名は井上さん。「ガトー・ショコラ・クラシック」でいいんじゃないと、仕事場の通りすがりに軽く言われてさくっと決まりました。
「ド・ロアンヌ」「カストール」で教えたスタッフが、今や日本中に広がり、さらには外国にも浸透していったのです。
このガトーは私も井上さんも権利を主張しませんでした。
「でも知ってる人は知ってるから」